「心のキャッチボール」 桜井省吾(仮名)
忙しい仕事の部署に変わり、今までの育児と仕事の両立が難しくなり、睡眠時間を削りながら働き続けた結果、軽いうつ状態に陥った私は、このままではだめになると思い精神科を受診しました。その日から、妻は子ども達を実家に連れて戻り、父親と子ども達の引き離しが始まりました。その結果、毎週、土日に子ども達とキャッチボールをしていた生活が一変しました。
調停で面会交流を申し出ても、妻は、約束の公園に子ども達を連れては来ますが、車に鍵をかけ、数センチ窓を開けたり、車から降りてもすぐに子ども達の手を引いて連れ去ってしまったりすることが続き、授業参観では、妻の両親が常に私を見張っていて、私が子ども達に少しでも近づけば、妻やその両親が子ども達の前に立ちはだかりました。子ども達が仲の良かった私と少しでも会話すれば父親と子ども達の絆が回復してしまう恐れがあったためでしょう。そのような環境の中で、子ども達は、校内マラソン大会でも、私の前を通り過ぎる時、顔を背けて走り抜けるようになっていきました。私の心の支えは、引き離しが始まるまで、二人の子ども達としっかりかかわってきたという自負であり、父親と子ども達の引き離しを受けている期間中ずっと、子ども達にどんなに無視されようが、子ども達を信じようと思い続けました。
最初の面会交流の審判では、妻が「私は父親に会わせようとしているのだけれど、子ども達が嫌がっているので」と自分の気持ちを子ども達の気持ちにすり替え裁判所に訴えたために、引き離しをしている妻が、子供に会わせようとしている常識的な人物と判断されてしまい、母親付き添いの面会交流という裁定になりました。しかし、母親が付き添えば、子ども達が本当の姿を見せることはできないと思い、面会交流の様子を遠くから撮影したビデオ(子ども達はお父さんのボールの投げ方を見ているのに、その子ども達の手を引いて連れ去る母親の姿が映っていました。)などを証拠提出して、抗告しました。東京高裁の決定では、1回目の面会交流のみ母親が付き添うが、2回目以降は付き添いは許さないという決定でした。
決定が出て、面会交流がスムーズにいくと期待していましたが、その後も、子ども達と長期間会えなかったブランクと妻からの引き渡しの際の抵抗に悩まされることになりました。
初回は母親が付き添った面会交流で、円滑に面会交流を進めるためI弁護士にも付き添っていただきました。子ども達はあった途端に母親にしがみつき、「帰る」と繰り返しましたが、I弁護士が母親と子ども達を離し、父親と子ども達三人だけにしてくれました。二年半ぶりに誰にも邪魔されない、子ども達と私三人だけの時間となりましたが、子ども達は私の話を聞ける状態ではありませんでした。
子ども達との会話こそありませんでしたが、I弁護士の手助けもあり、「気持ちをボールに込めてくれ」とキャッチボールをした瞬間に子ども達は緊張から解き放たれ、笑顔になってボールを私に投げてくれました。しかし、帰り際に母親が、「お父さんと遊ぶと新しい物を買って遊んでくれるから楽しいね」と嫌みな口調で言うと、子ども達は、「楽しくなかった」と答えたのです。笑顔でキャッチボールをしていた子どもが、「楽しくなかった」と答えることに、母親の強いマインドコントロールを感じましたし、父親と子ども達のキャッチボールを観察していた母親は、子ども達の笑顔を見て危機感を感じたのでしょう。次の面会交流は、母親の付き添いがなく2時間の面会交流だったので、母親の抵抗が激しくなりました。
2回目は、便利屋さんに立会人を頼み、約束の時間に待っていましたが、現れたのは母親だけでした。子ども達は車の中におり、母親は「お父さんと会うのを嫌がっている子ども達を見てください」と言ったのです。T弁護士に至急で確認した上で、私は駐車場の中で毛布を頭からかぶった子ども達を見ました。T弁護士に「母親の車に乗って出かけなさい」とアドバイスを受けたので、車に乗って母親から車のキーを預かろうとすると、子ども達は車から降りてしまいました。その後、母親と話し合いを試みていると、突然母親がその場からいなくなりました。私は、子ども達に「お母さんは約束を守ったよ」と言い、私の車に乗せるとすんなり乗り込んできました。すでに面会時間は1時間しか残っておらず、この日は近くの公園で少し遊んだだけで終わってしまいました。面会後の引き渡しでは、私と立会人は母親から暴言を浴びせられ、便利屋さんからは、次回の立会人を断られてしまいました。
私が、途方に暮れていたとき、T弁護士の仲介で親子ネットのFさんを紹介されました。私は、初めて子ども達と引き離されている私と同じ境遇のFさんとメールや電話で話をしました。Fさんは、快く面会交流の立会人を引き受けてくれました。私は、Fさんと話すことにより、同じ苦しみを持っているのは自分だけではないことを知り、今まで一人で抱え込んで、職場でも親友と呼べる友達以外には話せなかったことをFさんに話しました。FさんとT弁護士が共通なこともあり、面会交流で何かあったら、FさんがT弁護士に連絡をする協力体制も確認し、3回目の面会交流に望んだのです。
私とFさんが待合い場所で待っていると、母親と子ども達がやってきました。母親の後ろからついてきた子ども達を引きとろうとした瞬間、子ども達は違う方向に走って逃げてしまいました。私が一人を捕まえたら、母親はその様子を写真に撮っていました。立会人のFさんが、もう一人の子供を連れてきて、私に預けてくれました。そしてFさんが、母親を私や子ども達から離してくれました。子ども達は私の車に乗ることを抵抗していましたが、Fさんが、「お母さんは、もういないよ。4時に迎えに来るよ」と言うと、安心して車に乗ってきました。準備しておいた子ども達の好きそうなアニメのDVDを車の中で視聴させながら、野球のできる公園に車を走らせました。子ども達は、アニメに夢中になり、母親の呪縛から解き放たれていくのが分かります。この日は、広場で子ども達と3人で野球を楽しみました。子ども達も少しずつ笑顔を見せ、父親とのキャッチボールを楽しんだ様子でした。
私の持ってきたビデオカメラやデジタルカメラにも興味を示して一緒に撮影し、お昼にはショッピングモールで食事をしました。学校での生活についての質問にも答えてくれました。約束の時間に待ち合わせ場所に子ども達を連れて行くと、顔をこわばらせた母親が待っていて、引き渡しの時に多少ごたごたもありましたが、子ども達と3人で5時間近く過ごせたのは一歩前進でした。次回もFさんにサポートをお願いすることにしました。
4回目の面会交流では、前回のように子ども達が走っても道路に飛び出さないようにFさんと二人で道路側をふさぐように待ちました。母親に連れられて約束の時間に現れた子ども達は、私が「野球をしにいこう」と誘うとすんなりついてきました。Fさんに母親と話をしていてもらい、私と子ども達は車で出かけました。この日は、野球をする前にホームセンターで軟式のボールを買い、そのボールで野球をしました。ちょうど私の弟も休日だったので、子ども達と4人でキャッチボールをし、その後は私の実家の鯉のぼりを片付けたり、バッティングセンターに行ったりと有意義な7時間を過ごすことができました。子ども達も、「今度は90kmのボールを打つぞ」ととても満足していました。しかし、バッティングセンターからの帰り道、母親が待つ約束の場所に車が近づくと子ども達の表情はこわばり、私との会話もぎこちなくなっていきました。母親もこわばった顔をして子ども達を迎えいれたのです。
5回目の面会交流もFさんに立会人をお願いしました。今回もすんなり引き渡しがうまくいけば、Fさんには待ち合わせ場所から少し離れた場所にいていただき、立会人抜きの面会交流に移行していこうと考えていました。しかし、前々回と同じように子ども達は、走り出してしまいました。私は、前回の面会交流の実態から、今回は子ども達が走り出すと思わなかったので不意をつかれてすぐに捕まえることができませんでした。子ども達は、鬼ごっこをするかのように笑顔で200mくらい離れた駐車場まで走って行きましたが、行き止まりだったため、捕まえることができました。すると、母親が来て、子ども達の手を掴んでいる私の写真を撮り始めました。Fさんが間に入って撮影を防いでくれましたが、何枚かは撮られてしまいました。Fさんは、母親を私と子ども達から離してくれ、子ども達も母親の姿が見えなくなると手の力を抜き、私の車までついてきました。母親の前では、父親に抵抗する姿を見せなくてはという子ども達の防衛反応なのでしょう。頑張って逃げたけれど、父親に捕まったという場面を母親に見せること、あるいは、無理矢理に子ども達を連れていく父親の証拠の写真を撮るために父親から逃げるよう言われたのかも知れません。子ども達に確かめることはできませんが、いつか子ども達からこの時のことを話してくれる日が来るでしょう。このような態度をとった子ども達も、車の中でDVDを見ればすぐに母親の呪縛から解放され、笑顔を見せて野球をし、Wiiをすれば跳び上がりながら満面の笑顔で遊んでいます。
お父さんとお母さんの一番大切な宝なんだということを子ども達に分かってもらいたいので、私は母親の悪口だけは絶対言わないと決めています。私と子ども達の心のキャッチボールはまだ始まったばかりですが、回数を重ねていくことでいつかきっと心の会話に結びついていくと信じて面会交流を続けていきます。いつか、2年半のブランクが埋められたと私と子ども達が思える日まで……。