『離別と共同養育 スウェーデンの養育訴訟にみる「子どもの最善」』
『離別と共同養育 スウェーデンの養育訴訟にみる「子どもの最善」』
善積京子(著)
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世界的に離別・離婚後の共同養育権が導入されるなか、なぜ日本は変わらないのか。一方、共同親権が法的に認められさえすれば、親による「子どもの 取り合い」問題は解消するのか。「子どもの最善 barnets ba”sta」の概念を世界に先駆けて法律に導入した国・スウェーデンの離別後の養育訴訟を具体的事例に即して分析、日本における今後の親権・監護制度のあるべき方向性を探る。
●本書の内容
はじめに
第1章 スウェーデンの家族変容
第2章 養育規定と養育訴訟を扱う機関
第3章 「子どもの最善」からみた養育裁判
第4章 「子どもの最善」と「ジェンダー公平性」からみたDVケースの扱い
第5章 養育訴訟における「子どもの意思」の尊重
第6章 「子どもの最善」をめぐる父母の攻防
第7章 家族変容下の養育訴訟、そして日本の親権・監護法制
『離婚毒 -片親疎外という児童虐待-』
『離婚毒 -片親疎外という児童虐待-』
R.Aウォーシャック(著)、青木聡(翻訳)
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単独親権制度の日本では離婚後、非監護親に会うのは子どもにとって悪影響と考える人も少なくなく、『子どもが「会いたくない」と言えば会わせなくてもよい』、『「会いたい」と言ったら会わせる』という考え方が一般に浸透しているのではないだろうか。子ども自身も「自分の意思で(別居親に)会わなかった」と思っていることも多いが、実はこれこそが「離婚毒」であり、その背景には子どもの成長にとって非常に深刻な「片親疎外」が潜んでいることが、日本ではまだあまり知られていない。
子どもは育てられている同居親の考え方や感じ方に影響を受けやすく、同居親が別居親に対して怒りを露にしたり、そこまで露骨でないとしても別居親に対する否定的な言葉遣い、声色、表情をしたりすれば、子どもに別居親を拒否させることはいとも簡単である。
この本は、子どもを「離婚毒」から救うことを主眼にして、最初に「片親疎外」を引き起こしうる言動、プロセスについて触れている。不幸にして子どもが「離婚毒」に毒されてしまい、子どもが別居親を拒絶するようになってしまった場合、あるいは攻撃的になってしまった場合、子どもとどう接したらいいのか、どのように救い出してあげられるのか、8章に渡り詳細に説明されている。
また、子どもに拒絶反応があるからといって、一概に片親疎外が行われているともいえない場合もあり(別居親に原因がある場合や子どもが思春期の時など)、誤診を見抜く方法についても触れている。子どもと愛情のある関係を継続すること、子どもが両方の親(同居親と別居親)に対してよりバランスのとれた見方をできるようになることを目標にし、それぞれの立場の人が(同居親、別居親、親戚など)、いかにして子どもを「離婚毒」から守るかがわかりやすく書かれている。
この本を手にするのは、おそらく「片親疎外」に悩まされている別居親が多いだろう。しかし、学校関係者や保育所の先生、離婚した夫婦を親戚にもつ人達など、第三者の立場の人達にも、「片親疎外」は児童虐待であることを認識し、「離婚毒」に毒されている子どもたちを救うために是非一読してもらいたい。
『子どもを救う「家庭力」 -臨床現場からの提言-』
『子どもを救う「家庭力」 -臨床現場からの提言-』須永 和宏 [著]
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この本は、非行に走る子ども達の「生きづらさ」に焦点があてられている。私がこの本を取り上げたのは、我々の抱えている離婚後の親子交流問題と、かなり共通点があると感じたからである。この本を執筆している現代家族問題研究会では、近年失われつつある「家庭力」(父親力と母親力がより合わさった強靭な力)が子どもの豊かな育ちに欠かせないと捉え、様々な形でその分析をしている。
私達が、離婚後の親子交流に限定した形で、子どもの健全な成長に何が必要かということを念頭においているのに対し、現代家族問題研究会ではもう少し広い枠組みで、家族のあり方について研究しているというと、わかりやすいかもしれない。現代家族問題研究会のメンバーは、家裁の現職調査官や、元調査官でありながら、司法のあり方について大胆にメスをいれているところにも惹きつけられた。
本書は、複数の執筆者により、章ごとに単独に書かれているので、それぞれ簡単に紹介したい。
第Ⅰ部 子どもたちの危機と回復プロセス
第1章 生きづらい時代の子どもたち
-攻撃性の変貌と子どもたちのメンタリティ危機 須永 和宏
最近の少年の非行・犯罪の傾向や特徴について、動機の解明が難しくなってきた点と、突発的なものが増えてきた点を指摘している。重大事件を起こした少年のタイプを3つに分類しており、そのうちの一つが「表面上問題を感じさせることのなかったタイプ」である。そのタイプを、親との間で感情のこもったコミュニケーション体験が乏しく、自然の感情を伴った温かい人間同士の交流関係をほとんどもっていないと分析している。我々の経験している片親疎外に相通ずるものを感じた。
第2章 子どもたちの豊かな育ち
-思春期の問題行動から見た幼児期・学童期の大切さ 佐々木 光郎
父親の役割の重要性を説いている。父親には、自らも我が子と遊んだり、風呂に一緒に入ったりするなど、子どもとの身体的コミュニケーションをたくさんもつことが求められると。ところが、非行のある子どもの場合、こうした父親との体験がほとんどない。思春期になって家庭内暴力をふるう子どもの場合は、母親が強圧的に子どもを支配し、父親の影が薄い家庭になっているなどの例をあげ、父親の育児への参加の大切さを強調している。最後のコラムで、非行の予防薬は、「両親からの無条件に愛されること」と結んでいる。
第3章 地域社会に家庭を開く
-子どもの社会適応力を育てるために 川崎 末美
オートロック式の住環境で地域社会から孤立しやすい生活だったり、父親の存在が薄かったといったりといった環境による、現代の「母子カプセル」に危惧をいだいていることからこの章は始まる。父親参加型のコミュニティに属する子ども達が、他の地域の子ども達とどう異なるのか、定量的検証を試みているという点が、他の章とは少し趣が異なる。コミュニティに参加している父親のいる家庭では、母親による「きっちり」の子育てと、父親による「のびのび」の子育ての両方がうまく行われ、子ども達は高い自尊感情と、コミュニケーション能力を形成するという。本検証は、両親がそろった家庭でのケースであるが、離婚後の片親疎外により、自尊感情や基本的信頼間の低下を招くという調査結果と無関係ではないだろう。
第4章 子どもの回復過程(インタビュー)
-自立援助ホームで子どもたちと暮らして 三好 洋子
三好さんは、自立援助ホーム(青少年に暮らしの場所を提供する施設)で29年間寮母をしてこられた方で、須永さんからのインタビュー形式で話が展開されていく。自立援助ホームでの出来事が、ユニークでありながら含蓄のある言葉で表現されていて、惹きつけられる章になっている。本章に登場する言葉で、私が印象に残っているのは、「生きることと食べることは直結している。食卓から根源的な愛情交流が始まる」。子ども達との一緒の食事を妨害されることから、子どもとの切り離しが始まった私としては、非常に共感できるものとなった。
第Ⅱ部 少年による重大事件を読み解く
第1章 生活に色がなかった
-板橋両親殺害事件の刑事法廷から見えてきたもの 野口 のぶ子
野口さんは、元家裁調査官である。この章は、どうしても読んでもらいたい。何故なら、我々が対する家裁調査官とは、まるで異質の調査官がいる。このような洞察力と発言力をもった調査官が、家事を担当しているのなら、片親疎外という言葉を持ち出すこともなく、何が本質なのかきちんと見極めてくれるだろうと期待を寄せたくなる程である。痛烈に司法のあり方を批判しているその姿を、今の家事調査官には期待すべくもなく、それだけに私はこの章を読んで感動した。野口さんはすごいと。
第2章 学生たちがうけとめた「板橋事件」と「少年法」
-「司法福祉」講義のレポートを手がかりとして 田中 敏政
一つの事件を題材にして、学生たちとともに考える、そんな構成のところどころに、調査官としての信念が垣間見れる(私たちが目にする家事調査官があまりにひどいので、そう感じるのかもしれないが)。子どもは親に見捨てられては生きていけず、子はどんな状況におかれても、親のなすまま「忍従」するしかない点を、裁判官は全く取り上げなかったことを不合理で不自然と多くの生徒ですら感じている。そんな事例を引き出しながら、裁判官の言動に疑問を投げかけている。これは、まさに私たちが感じる裁判官像と同じであった。
私達が接するほとんどの家裁調査官は、子どもの最善の利益を大凡真剣に考えていない、あるいは考えていたとしても、最終的には子どもの最善の利益を二の次にしてしまう、他の先進国と比して、人間関係諸科学の専門家というのにはあまりに恥ずかしいような役人でしかない。しかし、この本を読んで、真の意味で「子どもの成長」を考え、提言し、行動している調査官がいることを知り驚いた。こうした家裁の人たちが特殊であることが、何とも情けない国であるが、一刻も早く、真の専門家が、リードする国になってもらいたいと強く感じた。
『子どもの連れ去り問題 - 日本の司法が親子を引き裂く』
『子どもの連れ去り問題 - 日本の司法が親子を引き裂く』
コリンP.A.ジョーンズ [著]
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本書を読むと、何故、裁判所に頼ると、親子の絆が引き裂かれてしまうのか、そのプロセスが良くわかる。面会交流などの調停や審判は、建前上「子どもの福祉」基準であるが、実は子どもはどうでもよく「裁判所の利益」のために、事件が処理されていくカラクリが、非常にうまく書かれている。
ところどころに使われる比喩は、家庭裁判所に関わったことがない人にもわかるようになっている。もしあなたが、家庭裁判所にお世話になったことがある当事者であるなら、その例えが、ウィットに富む皮肉が込められていることを感ずるであろう。そして、これが概ね当たっていると同感するに違いない。
裁判官は自身の裁量(裁判所の独自ルール)によって、何をしても許される。日本には裁判官の暴走をとめる法律がないということこそが「親子引き離し」問題の本質であるというのが理解できるだろう。対極的な例として引用されているのがカルフォルニア州法だ。『カルフォルニア州法では、「子どもの最善の利益」が何たるか、こと細かに規定されている。それは、たった一人の裁判官の裁量に子どもの将来を任せることに警戒心があるからだ』と紹介されている。つまり、悪意がなくとも、そのような運用がなされないように裁判官に縛りを与えるという意味で非常によくできた制度、つまり裁判官の暴走を未然に防ぐ仕組みになっているわけである。
多くの当事者は、裁判所は正義の味方だから、事実を正直に伝えれば理解してもらえるはずだと思って、裁判所の門をくぐる。しかし、時間がたつにつれ、裁判所は正義の味方どころか、嘘をついてでも我を通す人に有利に働くところだと気づく。高い倫理観や道徳観をもって生きてきた人であればあるほど、無力感に苛まれ、自分の生き方が間違っていたのだろうかと、自信を喪失していく。
当会は、こんな社会であってはならないと考えています。今、自分は何のために生きているのかわかないと、人生そのものに絶望している当事者のみなさん、問題は司法にあり、あなたにあるのではありません。何とか耐え抜いて、我々と一緒に社会を変えていきませんか。
離婚後の共同子育て -子どものしあわせのために-
『離婚後の共同子育て -子どものしあわせのために-』
エリザベス・セイアー&ジェフリー・ツィンマーマン [著]
青木聡 [訳]
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心理学の実証的研究によると、子どもの健全な成長のためには、子どもが両方の親と豊かな交流の経験を積み重ねていくことが欠かせない。したがって、両親が離婚した場合は、子どものために親子交流の継続を大変な努力で工夫する必要がある。欧米諸国では、こうした研究成果を踏まえて、離婚後の親子交流を単なる「面会」ではなく「子育て時間」としていかに充実させるか、それが最大の論点になっている。
一方、日本では離婚後の単独親権制度を採用しているために、子どもと別居親の交流が途切れてしまうことも珍しくない。「子どもを別居親と会わせたくない」と身勝手に主張する同居親(あるいは「子どもの養育費は払いたくない」と身勝手に主張する別居親)が後を絶たず、裁判所も離婚後の親子交流の重要性にまったく無頓着かつ無責任な審判を繰り返している。自己中心的な大人たちの都合に振り回されて子どもたちが深く傷つけられている実に惨憺たる状況といえる。
たしかに、離婚時に激しく争った高葛藤の両親にとって、別れた後に協力して子育てを続けることはとても難しい。面会交流の日時や場所を打ち合わせる連絡にはじまって、面会交流時の受け渡しのトラブル、子育て観の違い、特別なイベント(誕生日、発表会、入学式、卒業式、結婚式など)の取り決め、再婚後の子育てなど、検討・準備しなければならない事項は山積している。
本書は、子どものもう片方の親との争いに妄執している大人たちが、子どものしあわせのために矛を収めて、「離婚後の共同子育て」に取り組まなければならないことを教える一冊である。「離婚後の子育てプラン」で取り決めておくべき具体的な項目やガイドラインが示してあり、きわめて実用的な内容となっている。また、「離婚後の共同子育て」を妨げる「片親疎外」についても解説している。離婚を争っている親たち、離婚問題に関わるすべての専門家たちに、ぜひ読んでほしい。
『離婚で壊れる子どもたち 心理臨床家からの警告』棚瀬一代著
『離婚で壊れる子どもたち 心理臨床家からの警告』
棚瀬一代[著]
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離婚後の片親不在や、片親疎外の中で育った子どもが、その後どのように発達していくか、日本では専門家の間でも真正面からとりあげられることはなかった。本書は米国の実証研究や著者の臨床経験がもとにされており、子どもの最善の利益は万国共通であることを「科学として」論じている。
引き離された当事者であれば誰もが感じる「親子交流の継続性」こそが、「子どもの福祉」に適うのであって、未熟な監護親の自己本位な言い分を尊重し、別居親との交流を制限する裁判所の振る舞いは、別居親と子どもとの絆の形成という視点からは取り返しのつかない誤りを犯していることを、臨床事例で明確にしている。
大きくなってから急に親子の交流を始めても、どこかよそよそしい親子関係しか築けないのに、それで仕方なしとする日本の現状は、如何に子どもの成育にとって危険であるか警鐘を鳴らしているのである。
本書は、子どもと引き離されている当事者だけではなく、監護親、裁判所関係者、弁護士、学校関係者などにも、先入観を捨てて是非素直な気持ちで読んでもらいたい一冊である。