「アメリカで離婚を経験して…」 鈴木
私には、アメリカ在住の元夫とその母親の元で暮らす小学校6年生と4年生の女の子がいます。 二人ともアメリカで生まれ、元夫によって日本国籍を離脱されるまでは、日本とアメリカの二重国籍を持っていました。
子供達が5歳と3歳の時に、アメリカの生活から私だけが追い出され、その後元夫は出張で来日した際に、私に無断で離婚届を提出して親権を確立してしまった為、私はアメリカから日本へ子供達を連れて来ることができませんでした。
私は一人帰国して、まず離婚を無効にする裁判を行いました。元夫はどこに送達しても訴状を受け取らず一度も裁判所に現われませんでした。結局、裁判所は行方不明者と判断し、公示送達という送達方法で、離婚が無効になるのが目前に見えてきた時、アメリカの元夫の弁護士から「子供達の日本国籍を離脱した」という知らせが届きました。
一時的な親権者の立場を利用して、二重国籍だった子供達の日本国籍を離脱したのです。
離婚が無効になってすぐ、次の裁判を行いました。今度は法務省を相手に「国籍離脱無効裁判」でした。
2つの裁判に3年の月日を費やしました。でも、勝手に提出された離婚届を無効にしておかないと、アメリカで共同親権が取れないからと自分に言い聞かせ、娘達には、もうすぐ会えるから待っててねと心の中で話し掛けながら頑張りました。
そして、やっとアメリカでの離婚裁判が始まりました。とても人情とキャリアのある素敵なおばあさん弁護士に出会いました。
元夫と子供達の居所が不明確で、分かる住所に送達してもやはり無視されました。そこで私の弁護士は、人身保護令状を請求し、裁判所はそれを認めました。それを受け取った保護者は直ちに裁判所に子供を連れて出頭し、子供が元気であることを見せなければなりません。
人身保護令状が発令された翌日、やっと、石のように動くことのなかった元夫が裁判所に子供達を連れて出頭したのです。弁護士がその時の写真を私に送ってくださり、私は4年ぶりに見た娘達の元気そうな姿を見て、何時間泣いたか分かりません。
アメリカの裁判所には通算3回出廷しました。その他はすべて双方の弁護士を通してのやり取りで、双方が署名した離婚の合意書を期限内に提出する為の話し合いと交渉でした。
初めて裁判所に出頭した時、日本とずいぶん違うと感じたことがあります。それは、4年間子どもに会えていないという事実を知った裁判官、書記官の反応が、「それは大変だ、とにかくこの滞在中に会えるだけ会うことです。明日の放課後を1回目にしましょう。」という風に、何年も会えていないことが、“ありえないこと”であり、“ただちに会わせないといけない”緊急性のあることと捉えられるということでした。その上、私の母も一緒に来ている、彼女も孫に会いたがっていると告げると、元夫は“No!”と拒否しましたが、裁判官が、“おばあちゃんにも孫に会う権利は当然あります。”とおっしゃって、私の母も孫に会うことができたのです。あの裁判官の一言は、まさしく鶴の一声で、それまでの4年間で、唯一胸がスカッとした瞬間でした。
その他、私は、追い出されてからの生活補助も、財産分与も求めませんでしたが、それは、お金を求めることで、子どもとの面会に対して悪影響が出るに違いないと分かっていたからでした。このことで、私の弁護士は、“私は、弁護士費用の一部を彼に請求します。貴方が全額払う必要はない。”と言って、裁判官にその旨を伝えたところ、裁判官もそれを認め、結局のところはアメリカでかかった費用のほんの五分の一ほどに相当する額ですが、元夫に、私の弁護士費用の一部を払うよう命じました。
親権については、初めは共同親権を主張しましたが、何より元夫は、4年のブランクがある私を共同親権者として認めるはずもありませんし、アメリカの学校に通い、日本語も話せなくなってしまった子供達に、物理的、精神的に養育環境を50%、50%で与えることは、日本に住む私には実質できませんから、元夫の単独親権を認めざるを得ませんでした。 そういう面では私は、共同親権のシビアな面を痛みをもって知っていると言えるかもしれません。
アメリカでは、単独親権下でも、親権を持たない親と子の交流については細かな取り決めがなされます。私のケースでは、養育費(少額ですが私が元夫に支払います)、電話、手紙、メール、その他スカイプ等のビジュアルコミュニケーションは自由に行え、最初の5回は監視付き面会、その後10回目からは宿泊も可、という風に。最後までがんばった、子どもたちを夏休みに日本に遊びに来させるという文言は、ハーグ条約の関係もあってか、合意書に入れてもらうことができませんでした。
合意書に書かれたからと言って、約束が守られるとは限りません。これは、日本とアメリカで共通する問題点だと思います。ただ、「神の前で誓ったことは守る」とか小さい頃から他人に対して常に「Be nice.」であるよう育てられるアメリカ人は、相手をrespectして、約束を守る傾向が強い気がします。
あいにく、元夫はキリスト教徒ではないし、アメリカ人でもないため、上記には該当せず、スカイプの設置は、結局してはもらえませんでした。
面会についても、いろいろな点で嫌がらせを受けたり、合意書内容を反故にされることもあり、弁護士から警告メールを送ってもらうと、逆に面会時の私の行動について些細なことをオーバーに取り上げて、私こそ親としての責任を果たしていないとか、子どもたちが会いたがらないのを自分が励まして連れて行ってやってるとか、リーマンショックで収入が激減したから養育費を上げるよう裁判所にお願いしなければならないとか、長い抗議文で猛反撃に出て来ました。
今は、会いに行っても、5泊7日なり6泊8日なりの滞在中、通算5時間ほどしか会わせてもらえず、面会中も、元夫は何度も長女の携帯に電話をしてきたり、ずっとホテルのロビーで待っていたり、宿泊については直接子どもたちに確認しろというので聞こうとしたら、子どもの口から「週末はスキーに行くの」と先に言われたり…
「あなたたちを棄てて出て行った無責任な母親が、気まぐれで会いに来るのだから付き合ってあげなさい。」とでも言われているのでしょう。そして、「どんな服着てた?持ち物は?どんな話したの?」と祖母から聞かれるのでしょう…それに答えるために、子どもたちはまるでワイドショーのレポーターのような好奇の目で私を観察して祖母にレポートし、祖母から元夫へ報告ガ行き、元夫から私に、持ち物や行動について細かい非難メールが来るのです。
こんな渡米を一年に2~3回ペースで繰り返しても、子どもたちとの距離を縮められるわけはありません。私自身も、元夫の恨みの強さと弱まらない攻撃に、精神的にまいってしまって、なかなか子どもたちに会いにアメリカに行けずにいます。
結局、アメリカでも元夫の単独親権という結果になり、合意書に記載されたvisitationの取り決めだって、簡単に破られてしまうし、再度日本国籍を離脱されるのであれば、途方もない時間と労力とお金を費やして日本で離婚を無効にしたり、離脱された国籍を戻す裁判など、果たして必要なことだったのか?あのまま勝手に提出された離婚届を認め、visitationの取り決めだけをアメリカで求めていたなら、子供達と4年も会えないなんてこともなかったのでは…と今は冷静に振り返って分析することもできます。
ただ、お腹を痛めて産んで、追い出されるその日まで片時も離れたことのなかった我が子たちと引き離され、会わせてもらえないという状況で、どうにかなりそうな精神状態で、一生懸命考えて、働きながら心理学の勉強もして自分を支え励まし、やってきたことに(無駄なこともありましたが)悔いること、それから相手を恨み返すことはしないでいたいと思います。
元夫の行動は、本人は「子供を守る為」と思っているようですが、子供を自分の所有物と捉え、自分が子供を離したくないというエゴイスティックな欲求と、私に対する恨みというネガティブなエネルギーに支えられた行動であると思います。
元夫は子供達にはよい父親で、父子は良好な関係を築いています。今は、子供達は、その父親と祖母から洗脳されていて、私はせいぜい年数回しか会いに行けないというのに、私に会うことを億劫に思ったり、私と一緒に過ごす時間を楽しそうにしてくれない時もあり、本当に切なく悲しく情けない気持ちになります。
だけど、いつかきっと子供達は、父親と祖母から一方的に聞かされる話が果たして本当なのかと疑問に思う時が来ると思います。離婚の顛末について一切語らない母親からも話を聞いてみたい、理由を説明して欲しいと思う時が来るはずです。いろいろな分別が付いた時、「ある矛盾」に気付く時がきっと来ます。あるいは、彼女達の心の奥底に沈められたインナーチャイルドが泣いているが故に、生き辛さに苦しみ、その原因であるインナーチャイルドのケアと癒しが必要になることもあるでしょう。
私は、自分の手で娘たちを育てることのできない情けない母親ですが、いつかこの手に娘たちを抱き許し合い、ともに前に進める日が来ることを信じて、今は今のペースで、お菓子やアクセサリー等にメッセージカードを添えて送り、少なくても養育費を送り、もしかしたら義母のネール代やベビーシッター代に消えているかもしれなくてもクリスマスにはまとまったお金を送り、傷付けられ打ちのめされるのを覚悟でたまにはアメリカに行き、子どもたちとの細い細い線を切られないよう努力し続けるしかないのだと思います。
人生には、いろいろな面で思い通りにならないことが山ほどあります。そんな切なさ、やりきれなさを抱えていても、人は生きていかなくてはなりません。 苦しい状況の中で何かを見つけ、それを気付きに替えていけたなら、人生に起こる出来事の一つ一つは貴重な体験となります。そんな光で、子供達の未来を照らしてあげたいと思います。
私はこれからも、日本の当事者の方たちと歩みを進めていきます。日本における法改正が今の私に直接有益なわけではないけれど、この辛さを共有できて癒されるのは唯一当事者の中にいる時であるし、また、私がアメリカで経験した「4年も子どもに会えてないなんて大変!すぐに会いなさい」というアメリカの裁判所で言われた言葉が、日本の裁判所でも普通に聞かれる日が来て、私と同じ苦しみを抱える日本の当事者が少しでも救われるその日まで… (鈴木)