「こどものおっかけしています!!」 きよまさ純(仮名)
離婚して12年。
離婚した年月、こども達に直接会えないでいます。
当時、幼稚園の年中さんの息子(5才)、もうすこしで3才になる娘。
離婚と同時に、こども達は元夫の実家である中部地方に預けられてしまいました。
離婚後半年間は、こども達のことは忘れなければ。。。そんな思いにかられました。
当時、テレビ番組で、こどもが別れてしまった親を探す番組を見ていて、その状況に涙が止まりませんでした。
「何十年か経ってから再会する。。。」
そんな選択じゃなく、会えないなら、こどもの姿だけでも確認していこう。。。そう心に誓って、離婚して8ヶ月経ったある日、元夫の実家に向かいました。
元夫の実家近辺で、待つこと数時間。
ちょうどお盆の頃だったせいか、元夫も帰省していて、家からこども達と一緒にでてきました。
双眼鏡越しにみた、こども達。 8ヶ月ぶりに、げんきな姿を確認できました。すぐに車に乗り込んで、どこかに出かけてしまったけれど。。。
ほんの2~3分の出来事だったけれど、こども達の様子を確認できたことは、飛び上がるくらい嬉しく、また、ただただ涙がとまらなかったです。
それからまもなく、面接交渉の調停をおこしました。
結果は、現状維持の原則のためか、「こどもに気付かれぬよう見守ること」そんな調停条項でした。
「こどもに会いたい、こどもの成長に関わりたい」
親であるなら自然な感情であるけれど、そんな気持ちはわかってもらえませんでした。それは、別れた親のわがままであると、とらえられてしまったようです。
また、こどもがいて離婚した友人は何人かはいたけれど、私のような(子どもが手元にいない)状況の人はいませんでした。
「こどもが大きくなったら、ぜったい会いにくるよ!」
私をそう励ましてはくれたけれど、心にはいっこうに響きませんでした。
「親権がなければ、子どもに会えない」「監護親が嫌がっていれば、こどもに会えない」
いまと変わらない11年前の状況ですが、現在と違って、当事者同士で意見交換する場などなく、ひとりで葛藤する日々でした。
とにかく年に数回、こども達の姿を確認するため、中部地方には通い続けました。
こども達が、小学校に入学してからは、私の行動範囲も広がり、小学校周辺をウロウロ。休み時間には、こどもが校庭で遊んでいないか、小学校の金網越しに顔をひっつけて、こども達の姿を探しました。
下校時刻には、正門あたりで待ち伏せ。下校している息子の後ろを5メールぐらい離れて、一緒に歩いたものです。
その当時は、まだ私の顔を覚えていたのでしょうか、私の顔を見ると、目をそらしていた息子。けれど、走って逃げさることもなく、一定の距離で歩いていました。
娘は完全に私の顔を忘れていたので、小学校低学年の頃は、声をかけたりもしました。
そんなことを毎年毎年繰り返し、遠めながらもこども達の成長を見守ってきました。
現在は、職場でも堂々と、「こどものおっかけしています!!」と、宣言しています。
そんな私を、とっても楽しそうだねと、言ってくれ、大半の方が応援してくれています。
高校3年生になった息子、高校1年生になった娘。
ただいま青春真っ盛り。
とても日々を楽しく過ごしているようですし、勉強もがんばっているようです。
学校行事に関しては、元夫よりも、見に行っていると自負していますし、その際に垣間見られるこども達の明るい笑顔に、私の心も救われます。
去年、再度おこした面接交渉調停。
「小さい頃から交流がなかったため、母親に会いたいとは思わない」というこども達の返答でした。
そして、相変わらずこども達に直接は会えず、遠目に見守る日々が続いています。
友人がいるから中部地方から離れたがらなかったこども達ですが、来年、関東方面の大学を受験する予定の息子。
娘も、大学は、関東方面を。。。と考えているようです。
その意向を知り、去年 面接交渉調停をこした成果はあったのではないかな。。。と考えています。(元夫、実母である私は、関東在住)
長くなりましたが、夫婦の破綻は仕方ないにしても、その結果、こども達に会えなくなるのは、おかしい社会であること。こども達が、離婚したどちらの親とも、交流ができること、そんな世の中がはやく実現することを、望んでいます。
親の離婚で、心の傷となり、おとなになっても生きづらさを感じている人々が多いと聞く中、幸せに向かって生きていけるような心の持ちようを、いっしょに考えられる社会であって欲しいと心から願っています。
2010年7月13日