「監護親と非監護親を経験して」 基ひかり(仮名)
監護親と非監護親を経験して。。。
3年前に離婚した際、親権も監護権も元夫に託した。夫婦関係が破綻し、子どもをおいていくなら離婚に応じると言われたからだ。言葉こそ知らなかったが、自分の中では共同監護ができると信じていたし、離婚しても親であることは変わらないと思っていた。生活環境が変わらぬことも、子どもにとってはいいと考えたからだ。
離婚後、毎週金曜日夕方から日曜日17時までが面会日となった。その約束で協議離婚したからだ。しかし、毎週末子どもたちは私との別れを嫌がり、号泣。それを元夫の両親が引き剥がしての別れ。私も子どもも限界だった。それは元夫側の家庭もそうだったのだろう。小学1年生の娘は勉強ができなくなり、年中の息子も保育園に通えなくなっていた。離婚して1年がすぎたころ、元夫側から縁をきってほしいと要求された。それを受け、私は親権者変更調停を申し立てた。子どもには両親が必要であり、私が親権者になればどちらとも交流させられるからと考えたからである。
親権者を変更する、言葉では簡単だが現実は万に一つも可能性がない。弁護士にもなんども断られた。弁護士費用も用意しなければならない。途方にくれたが、ある夜娘が号泣する。「パパがママのところにあまり行ってはいけないっていうの」そういって娘は3時間も激しく切なく泣き続けた。娘の背中をさすりながら決意する。離婚したのは親の勝手だ。なるべく子どもたちには迷惑をかけないのが親のせめてもの責任ではないか?!知人から費用を借り、弁護士に頼み込み調停に臨んだ。
虐待があるわけでもない、調査官調査でも問題なし、子どもは両親が好きであるから今のままでいいのではないか?そんな結果になった。しかし、私はあきらめなかった。このままでは、ずっと不自由な面会が続くからだ。元夫の家の近くに住み、娘の登校時に毎朝挨拶をしにいった。親権にはこだわっていない、小さいうちだけ養育に携わりたいだけなのだと何度も伝えた。相手弁護士にも養育費も親権も要らない、監護権だけでいいと弁護士経由で手紙を渡した。そのときは知らなかったが、元夫は再婚が決まっていて、私と縁を切らせ新しい母親に慣れさせようとしていたらしい。後で知ってぞっとした。あのままいってたら子どもたちとは会えなくなっていただろう。元夫も私に子どもを渡すか揺れていたのかもしれない。私が今回だめでも何度でも調停や裁判も辞さないと伝えたのも大きいかもしれない。最終的に親権も監護権も私に渡すといってきたのだ。そして元夫は「月1以下しか会わない。月1以下には0回も含まれる」といってきた。
会いたい親にとったら、驚く元夫の言葉だがよくあることらしい。別居親に会わせたがらない親は、自分が非監護親になると会わなくなる。私は私がしていたように毎週末の宿泊も、ほかにもできる限りの交流をもとめたが、断られる。今までは会わせて欲しいと動いていたが、今度は反対に会って欲しいとお願いをすることになった。会わせない親や会わない親に対応することは本当に難しい。会わせない親には困難だが、調停や審判を使い、子に会えるようにもなることがある。しかし、会わない親にはなにも強制ができないと裁判所や弁護士から言われた。面会不履行が続いたが、死に物狂いでなんとか月1回の面会を続けてもらえているのが現状だ。会えない親が、子どもをあきらめなさい、子どものためよと言われるように、私は今度は子どものために父親をあきらめさせなさいと批判される。
元夫の再婚は1年半も知らされていなかった。さらに子どもまでいるらしい。私は元夫の新しい幸せと新しい家族に驚きはしたが、祝福の気持ちでいっぱいだった。しかし、子どもたちは複雑である。6歳の息子は驚いたが、「パパとは会えるんだよね?じゃあいいや」とすぐに落ち着いた。しかし、小3の娘は号泣。「パパは嘘ついた。私がいやなら結婚しないといったのに」よく話した結果、なにがショックだったのか娘も最初はわからなかったらしい。しかし、今、落ち着いて考えてみると「パパがちゃんと私に話してくれなかったのがいやだった」と言っている。娘は最初、父親を恨み、再婚相手を憎んでいた。しかし、だんだんと日がたつにつれ、感情が変わってきた。「ママ、私、パパを赦してあげる。パパに幸せになって欲しい。パパに笑ってて欲しい。パパ大好きだもん」親の離婚で苦しみ、さらに居場所まで自分たちの意思に関係なく変わらされ、あげくに父親の再婚や義理の兄弟の存在さえ知らされなかった娘たち。泣いて苦しみ、それを乗り越える姿を見てきた。その子どもたちは今、私に言うのだ。「本当に悲しいことばっかりで、本当に嫌だった。でも、ママ、パパに会わせてくれてありがとう」と。。。私は未熟で、子どもに迷惑ばかりかけて、毎日反省ばかりだが、一つだけ子どもに顔がむけられるのは父親に会ってもらうよう少しは動いたことだけだろう。
監護親と非監護親の立場を経験して、一つ確実にいえることは「子どもは本当のことを話して欲しい」ということだ。離婚の原因、両親の気持ち、今後の生活、これからも別居親に会えるのか?その関係。多くのことを両親と同じように感じて、考えている。今、私は子どもたちに事実を年齢にあった言い方で全て話している。その上で、これからどうするか話し合っている。父親が自分たちに会いたがっていないことも二人はすでに知っている。しかし、それでも二人は父親に会いたいと、会いに行っている。父親の家に泊まりたいと熱望していたが、再婚しているからダメだと知ったらあきらめた。事実を知り、納得できれば子どもは自ら行動を選ぶのだ。引き離している監護親にぜひ知ってほしい。子どもたちの本当の心を。両親が大好きで、なんでも知りたいと思っている。親がよかれと思った道ではなく、自分で考え選びたいのだ。引き離すのが子どものため?それは子どもが選ぶことなのだ。離婚をえらばざるを得なかった自分たちだが、せめて子どもには最小限度の犠牲しかかけないよう努力するべきだろう。多くの引き離している監護親に伝えたい。
これから私は月1回の面会がなくならないよう、努力するしかない。これ以上の交流は元夫は強固に拒否しているからだ。元夫も息子と同じ年齢のときに親が離婚し、実の父親から引き離されている。そして実の父親はすでに他界してしまった。もう会えないのだ。元夫は言う。「実の父親と引き離されてよかった。幸せだった」と。引き離しにあった人間は、引き離しをするし、また子どもに正常な愛情をもてなくなる可能性が増すのではないだろうか。幸せだったと思い込まなければ、自分を正当化できないのだろう。
私は子どもたちに父親と会えなくって幸せだったと言わせたくない。両親を見て、自分で経験し、それを自分の糧として生きていってほしいのだ。それが人間の生き方だと思う。親をないものとし、それを越えないで人生は終えられないだろう。その人生の課題を監護親が奪う権利はない。
外で「お父さんは?」と聞かれ、「いるよ。でもここにはいないんだ~。別々に暮らしているの」と笑って応える子どもたちを見て、逞しいなあと感じる。子どもたちの笑顔を守りたいと切に思う。