「子供と会い、心に触れる大切さ」 仲間 純也(仮名)
それは、2006年3月20日、仕事を終えて自宅に帰った私を迎えたのは、誰もいない暗い部屋でした。子ども達を連れで出かけているにしては、帰りが遅いなと思い、心当たりに電話を入れ続け、最終的に元妻の実家に電話を入れて、驚愕しました。元妻の父親が電話に出て、私の暴言により傷ついた元妻が、子ども達を連れて兵庫の実家に戻って来たと怒鳴り声でまくし立てたのです。
2003年にも、同様な事が有り、その時は、仲人も入れ、両家の親も同席して、もう一度夫婦関係をやり直すとの事で、合意した経緯が有りました。元妻の父親の話では、その合意の約束をまた私が破って、元妻に暴言を口にしたので、元妻は、逃げ帰ったのだとの事です。
私は、夫婦喧嘩の際の荒げた言葉について謝罪し、戻ってもらいたい事を告げましたが、父親からは、「離婚をするしかない。それに応じるまでは、子ども達(孫)にも会わせない。娘も同様の気持ちだ。子ども達には、なぜママが逃げ帰ったか、彼方の悪かった所をすべて話しましたから。」の言葉が返って来ました。
それ以降、元妻の実家にも何度か直に謝罪に行き、子ども達に会わせて貰える様に交渉をしましたが、元妻の父親に門前払いをされ、元妻に手紙を出すも、「離婚をするまでは、子ども達には会わせない。」の一点張りの答えが返って来るだけでした。
この時の子ども達の年齢は、息子が8歳、娘が6歳でした。
それからと言うもの、子ども達との生活が出来ない辛さと、将来への不安感、絶望感などで自然と体が振るえ、嘔吐感も覚え、感情のコントロールが出来なくなると、涙が流れてしまう状態が日々続きました。仕事をしていても、身が入らないと言った状態でもありました。
私が口にしたと、元妻が主張する暴言に関しては、私自身の性格が変われば、その様な暴言もなくなり、皆に戻って来てもらえるのではないかと思い、どうすれば性格が変わるか考えた末に、精神科のカウンセリングを受ける事にしました。元妻にも、カウンセリングを受け始めたことを告げ、引き続き子ども達と会いたい事を手紙にしました。それでも元妻からの返事は、「離婚に合意するまでは、一切子ども達には、会わせない。」と、変わりませんでした。
それから、子ども達とは会えないまま、1年が過ぎました。その間、元妻側には、生活費として仕送りをしていたのですが、諸般の事情と、生活費(婚姻費用)の算定表相場から、仕送り金額を減らした所、元妻から「費用を削るとは何事か」と、激高の手紙が届きました。あまりに自分本位な元妻の言い分に驚いた私は、そこで初めて、弁護士に相談をしに行きました。2007年5月、子ども達と会えなくなって、1年と2ヶ月が過ぎた時です。
弁護士との相談で、私から婚姻費用の調停、子どもと会えるようになる為にと、なぜか弁護士からは、面接交渉権の調停ではなく、子の引渡し請求の調停を薦められ、その2件を家庭裁判所に申立てました。
それに対して、元妻からは即刻、離婚調停が申立てられました。婚姻費用の調停は、すぐに決まりましたが、子の引渡し請求に関しては、調停員も鼻で笑うくらいに、「そんな事は無理でしょう」とあしらわれ、私は、只々子どもと会わせて貰えるようにと、それだけを毎回調停で訴えるしかありませんでした。
しかし、それに対しての元妻からの返答は、「離婚に応じるまでは、一切子どもとは会わせない。」と、以前からの返答と変わらないものでした。意外でしたが、元妻側の弁護士も、子どもと親が会うことの大切さを元妻に説いてくれていたようですが、それでも元妻は、一切応じる事は有りませんでした。
そのまま調停は続き、一向に子どもと会わせて貰えない事と、調停に疲れてしまった私は、根負けして、2008年5月、離婚に応じる事にしました。約束ですので、その調停が終わった後に、何年か振りに裁判所近くのレストランで、元妻も同席で子ども達と会える事になりました。
家族で過ごしていた時同様の、子ども達からの、「パパ!」と言う声を楽しみにしていた私ですが、やって来た子ども達と実際に会って、私は愕然としました。そこには、私が仕事から帰って来た時など、わざわざ布団から抜け出し、嬉しそうに、「お帰り!」と言って、私に懐いていた昔の子どもの姿は無く、ソワソワと私の目もジッと見つめる事も出来ず、元妻の影に隠れるようにしている子ども達がいました。席に着くも、私の隣には座ろうとはぜず、対面の元妻の脇に2人ともくっついたままでした。
そうです、PAS(片親引き離し症候群)に子ども達は、陥っていたのです。私と引き離され、元妻からの養育されていた2年の間、元妻やその両親からの、私への誹謗中傷が子ども達に伝えられ、子ども達は、前記のように私を拒否する反応を示したのです。その為、調停で交された「月1回の面会交流」の約束も、子ども達の気持ちや都合が合わないと言う事で、結局守られませんでした。
しかし、私は子どもと少しでも会う事が、親子の絆を深めると信じていましたので、面会の回数を増やしてもらえるように、元妻に再三に渡り、要求しました。それでも面会の回数は、増えない状況でした。
やっと子ども達と会えた時でも、「パパとは、1年に1回会うだけで充分!手紙も、もうたくさんだから、出さないで!」などと、子ども達は私に対して抵抗を図り、私の前から逃げ惑うばかりでした。その子ども達を追いかけ、一緒に過ごす事を説得するだけで、調停で約束された面会時間の5時間を費やしてしまいました。
ようやく、子ども達の言動が落ち着いたところで、面会の時間が終了してしまうのです。それでもその様な中、私は子ども達に、「パパとママの離婚の事で、聞きたい事が有れば何でも聞いて良いのだよ。」と、子ども達に隠し事をしないように、毎回アプローチしました。それは、子ども達に、真の姿を見せて真実を伝えて行こうと思ったからです。
そして、子ども達からの、「パパは、ママをいじめたんだよね?」などの質問には、「パパは、ママをいじめてはいないけれど、喧嘩をした時には、言ってはいけない言葉を使ってしまったりしたね…パパがいけなかったね…ごめんね。」というように丁寧に答え、子ども達の気持ちや都合を尊重するようにし続けました。
そして、面会交流が始まってから9ヶ月が経った面会の時、それまで私との面会を嫌がり、ぐずり、逃げ惑っていた子ども達が、私の前に普通に立ち、私の目を見て笑顔で話が出来るようになったのです。そして、私に対してワガママも言えるくらいの関係になりました。
あまりの子ども達の変化に驚いた私ですが、出来る限り子ども達と接触をし、話かけをして行った事と、離婚に至った経緯を隠し事なしに、子どもの質問に答えてきた事が、子ども達のPASからの脱却に繋がったのではないかと、思いました。
このように、たとえ長い間引き離されて、PAS(片親引き離し症候群)に遭っていた子どもでも、数多く、子ども達との接触、会話が出来る状態の、面会交流を続けることが、子供の心を開き、再び親子の絆を構築出来る状態に、引き戻す手立てになるのだと思います。
離婚は、夫婦の決別であり、決して親子の決別ではありません。子どもは、夫婦の状態がどうであれ、両方の親を愛しているのです。そして、本当はいつでも会いたいと思っているのです。その子どもの心の葛藤を開放させるためにも、親は子と会って会話を交わし、真の姿を見せるべきなのです。一方的な親からの情報だけでは、子供の真の心が歪んでしまうばかりです。
今まで、一つ屋根の下で一緒に暮らしていた家族が、離婚と言う結果で片方の親と別れて暮らすという状態になる事は、子どもの心情にはかなりのショックな出来事です。日常的に両親から愛を注がれていた状態が、半分になってしまうからです。
その子どもの不安な心理を埋める為にも、たとえ離婚をしても両方の親からの愛情が注がれていると言う充実感、安心感を親は子どもに与え続けるべきです。その為には非同居親とも頻繁に交流をし、子どもとのコミュニケーションをとり続けることが、絶対に必要です。それが、子どもの豊かな心の育成に繋がるのです。
本当の、子どもの心の純粋な成長と福祉を考えた時、たとえ親権を失った非同居親でも、子どもと会い続け、親子の絆を構築して行くべきだと、私は思います。両方の親と係わり合い、両方の親から愛されていると感じられる子供は、情緒も安定した成長を遂げるでしょうから。