2013年02月23日 日経新聞 『国際結婚めぐるハーグ条約加盟、賛成ですか』
国際結婚めぐるハーグ条約加盟、賛成ですか クイックVote第121回
日本経済新聞社は「電子版(Web刊)」の有料・無料読者の皆さんを対象とした週1回の意識調査を実施しています。第121回は、安倍晋三首相がオバマ米大統領との初の首脳会談で表明した日本のハーグ条約加盟について、皆さんのご意見をうかがいます。日本経済新聞のフェイスブックでもコメントを受け付けています。
「日本との最初の会談ではアブダクション(abduction=拉致・誘拐)の問題を取り上げたい」
2009年6月、オバマ大統領が国務次官補に指名したカート・キャンベル氏が議会での承認に先立つ公聴会の冒頭でこう発言すると、傍聴席に詰めかけていた日本の外交官や記者からどよめきが起きました。新政権のアジア外交の司令塔が北朝鮮問題を最重要課題に据えた――。直ちに速報を東京に打電してしまった記者もいました。
それはとんだ勘違いでした。その先もじっくり聞いていると「離婚」「親権」「連れ去り」そして「ハーグ条約」という単語が耳に飛び込んできました。
「ハーグ条約?」 不勉強にもその名前を知らなかったので、かなり慌てました。日米関係において米国が最重要と位置付ける課題を知らなくてワシントン特派員が務まるのか?
当然のことですが、その日は原稿を書くのに大いに苦労しました。
ハーグ条約は国際結婚が破綻した場合の子どもの取り扱いを定めたルールです。1980年にオランダのハーグで開かれた国際私法会議で調印され、83年に発効しました。昨年末時点で89カ国が加盟しています。
基本になるのは離婚裁判の管轄権に関する決まりです。日本の刑事訴訟法や民事訴訟法を読むと、北海道の人が沖縄の人を東京で車ではねた場合、業務上過失傷害罪や損害賠償の裁判はどこですればよいのかが書いてあるのと似ています。
問題は国境を越えると親族法の条文がかなり違うことです。どこの国の法律で裁くのかが子どもの親権争いを左右する場合が多々あります。親権を1人が持つ国と両親いずれもが持つ国があったりします。だからハーグ条約で生活を営んでいた国に父母と子どもをいったん戻し、そこで裁判をすると定めたわけです。
パリで働いていた米国人とロシア人が結婚したとします。離婚後、2人はニューヨークとモスクワに別れました。子どもの親権を巡る裁判はどちらかの町でやれば通うのに便利なのにと思っても、もはやどちらも住んでいないフランスで争わなくてはいけません。といった風に不合理な点もありますが、どこかで線引きしなければ自分に有利な国でやりたいとたくらむ人が出てきて収拾がつかなくなります。
米国人の夫とニューヨークに住んでいた日本人の妻が子どもを連れて日本に帰国。夫との離婚を決意し、電話でそう告げて後はいくら電話がかかってもきても知らん顔。夫が親権を持つかもしれない子どもを一方的に連れ去ったのですから、ハーグ条約に照らせば、これは立派な「アブダクション」、つまり拉致・誘拐です。
日本はこの条約にずっと加盟せずにきました。1つは公判のある日にちょっと隣の国の裁判所に行ってくると簡単にいえる欧州諸国などと異なり、極東の離れ小島の日本からだと移動が大変だからです。米国での結婚生活が破綻した人が日本に戻ってきたら米国の裁判所から公判に出ろと通知が来た。決まりだから毎週、米国に通え、と押し付けることに日本政府はためらいがありました。
もう1つは言葉の壁です。条約の基本的な考え方が生まれた欧州では英語とフランス語とドイツ語とスペイン語が全部ぺらぺらという人は珍しくありません。そもそも国際結婚なのですから、配偶者の国の言葉もしゃべれるのは当たり前だ。ハーグ条約の精神にはそんな暗黙の前提があります。日本人で外国での裁判に苦もなく対応できる語学力の持ち主はそれほど多くないでしょう。
オバマ大統領はハワイで出会った米国人の女子大生とケニア人留学生の結婚で生まれました。オバマ氏に「米国で何年も生活した日本人妻には英語がひと言もわからない人がいる。もちろん米国人夫は日本語はひと言もわからない」と言ったら、「いったい、どうやって一緒に生活していたのか」と納得しないかもしれません。
企業のオフィスにさまざまな国籍の従業員が働いていて恋に落ちる。ニューヨークやロンドンならばそれがよくある国際結婚ではないでしょうか。
日本の国際結婚事情は欧米と比べてかなり特殊です。日本人が絡む国際結婚の4分の3は日本人男性が中国やフィリピンなどアジアの女性と結婚する事例です。農村花嫁などが含まれます。日本人男性が欧米の女性と結婚する例は年200件程度しかありません。
残る4分の1は日本人女性が外国人男性と結婚する事例ですが、相手のトップは韓国人。次が米国人です。
つまり、日米間でみると国際結婚のほとんどは日本人の女性が米国に嫁ぐという形で行われています。このパターンでは米国人の男性の多くが軍人とされています。一方、日本人女性には沖縄県や神奈川県などの米軍基地の付近に住む人が多く含まれます。
このような背景もあり、嘉手納や横須賀など基地の町以外ではハーグ条約への加盟問題はあまり注目されてこなかったのです。日本政府も条約加盟問題を放置してきたのです。
そうこうしているうちに、G8首脳会議のメンバーで非加盟は日本だけになりました。日本とやや事情が似ている韓国も、今年3月に正式に加盟します。オバマ大統領の重要な支持勢力である人権団体は「日本は子どもの人権を無視している世界でもまれな国だ」と激しく非難しています。米国でのこの問題への反響は普通の日本人には想像もできないほど大きいのです。
そこで鳩山政権時代にこじらせた日米関係の立て直しに全力を挙げる安倍政権が、ハーグ条約加盟をついに決断したわけです。
国内関連法の整備はこれからですが、日米首脳会談に先立ち自民党と公明党が合意した基本指針によると、米国人夫の家庭内暴力から命からがら逃げてきた、などの場合は米国に戻らなくてよいなどの留保条件を設けたうえで条約を批准する方針です。自公両党に加え、野党の民主党も賛成の方針。衆参両院とも賛成多数で可決されるのは確実です。
日本の女性人権団体は、日本人女性が子どもを奪われる例が増えることを懸念しています。男女平等にうるさい米国でも子どもは母親が育てた方が好ましいという雰囲気はあります。ただ、米国は世界で一番素晴らしい国と信じ切っている愛国者の多い国ですから、日本で育つよりも米国で育つ方が子どもには幸せだなどと決めつける裁判官が出てこないとも限りません。
「国際結婚? そんなのひとごとだよ」という読者も少なくないと思いますが、果たしてそうでしょうか。ハーグ条約に加盟し、離婚に関する国際標準が日本に入ってくると、日本人同士の離婚も徐々にその波に洗われるようになるでしょう。
日本では離婚後は母子が一緒に住み、父親とは没交渉という方がまだまだ多数でしょう。欧米では子どもを父母のどちらかの家に固定して住まわせるのではなく、週3日ずつに分け、残る日曜日はそろって過ごすなどという例もあります。最低限のルールとして、子どもと一緒に住まないことになった親が面会を求めたら、もう一方が拒否することは刑務所で服役中などよほどの事情がない限りできないというのが国際標準です。
ハーグ条約加盟は、ある意味で親族法の世界に「黒船」がやってきたようなものです。攘夷(じょうい)か開国か。国家の存立基盤である法制度も、もはやその国だけで考えていればよい時代ではなくなりつつあります。
今回は2月26日(火)までを調査期間とし27日(水)に結果と解説を掲載します。アンケートには日経電子版のパソコン画面からログインして回答してください。ログインすると回答画面が現れます。電子版の携帯向けサービスからは回答いただけません。