2012年1月5日 朝日新聞 『放射能理由、外国籍夫が子と帰国 条約未加盟で妻窮地』
放射能理由、外国籍夫が子と帰国 条約未加盟で妻窮地
原発事故を理由に、日本人と結婚した外国人が子どもを連れて母国に帰るケースが出始めている。子を連れ戻すのに有効なハーグ条約に日本は加入しておらず、子を奪われた母親は途方に暮れる。
東海地方で暮らす公務員の女性は米国人と結婚し、7歳と5歳の息子がいる。夫は昨年3月、2人の子を連れ、1カ月の予定で「里帰り」を兼ねて米国へ旅行に出かけた。その直後、東日本大震災が起きた。夫は原発事故の影響を恐れ、米国を離れようとしない。女性が帰国を促すと「子どもを放射能の危険にさらすのか」と拒んだ。
米国では震災後、津波や放射能の被害が連日報じられた。女性はインターネットのテレビ電話で米国の夫や子に連絡し、東海地方は安全と訴えた。でも、夫に教えられたのか、子どもたちは「日本は水がバシャーン、バシャーンであぶない。エア(大気)に毒も入っている」と不安がった。
夫は当初、「原発が安定したら戻る」と約束していたが、夏までに女性の口座から計約1万7千ドルの預金を全て引き出し、米国で新たにアパートを借り、生活の基礎を固め始めた。11月に入ると、一方的に米国で離婚を求める訴訟を起こした。日本政府が「収束宣言」を出しても、当初の約束は守られなかった。
「いったいどうして……。まるで誘拐じゃない」。夫とは2001年、留学先の米ニューヨーク(NY)で知り合い、翌年に結婚した。学生だった夫とNYで暮らすのは経済的に困難なため日本に移り、女性が国内での職業資格をいかして生計を支えてきた。米国では安定した職の保証はなく、その状態で離婚となれば親権が認められる可能性も低い。
女性は米政府の「子ども連れさり窓口」に相談した。日本がハーグ条約に加入していれば、加盟国の米国は子どもを元の居住地に戻す義務を負う。だが、未加盟なので「保護の対象にならない」と言われた。自力で訴訟などで取り戻すしかないが、現地の弁護士には「米国ではここ半年の子育ての実態を重視する。震災時から子どもと離れていたあなたは不利」と指摘された。事故直後、原発の収束が不透明だったため、子らの米国滞在を黙認していたことが裏目に出た。
女性のアパートには、長男が入学式で着るはずだったブレザーや青いランドセルが、真新しいまま置かれている。夕方、仕事から帰るたびに、「おかえりー」と駆け寄ってくる2人の姿を無人の部屋に捜してしまう。
米国での訴訟に長い年月がかかり、費用は数百万とも言われる。勝てる保証もなく、焦りと不安に暮れる。「“逃げ得”を許さないために、早期に条約に加盟を」と訴える。
女性は手紙や電話で、繰り返し子どもたちに語りかけている。「2人はママのかけがえのない宝物よ」(佐々木学)