2011年11月12日 asahi.com 『国策・国益と国民』
国策・国益と国民
■「常識」を問い直す鏡
「山梨の中の世界」に向き合うと、「常識」を疑うことに行き当たります。
あまり知られていないことですが、「子どもに会えないので何とかして欲しい」とアメリカから日本政府に申し入れがあった日本人女性は120人を超えます。元夫から逃げるために母親が子どもを連れて日本に帰ると、「拉致した」として刑事事件になることもあります。
これが国際的な常識です。日本政府が今年5月に加盟方針を明らかにしたハーグ条約は、国際離婚の親権争奪に関して、一方の親が不法に16歳未満の子を他国に連れ出した場合、子を元の居住国に戻すことができると定めています。
常識が見つけられない場合もあります。甲府市で、中南米から来た日系人の母と中東諸国の父の間に生まれた中学生の在留資格を求める署名活動が進められています。父母はいずれもオーバーステイ。この子どものためには、どんな処遇が適切でしょうか。父母のどちらかの国に送還する? それとも、甲府でずっと不法滞在を続けなければならないのでしょうか。
私のコラムを読んだ多くの人から直接あるいは間接に賛同や反論が寄せられました。反論で一番多かったのが「警察や消防の職員になりたいのなら日本国籍を取ればよい」と「参政権や政治献金は絶対に認められない」というものでした。
日本ではなぜ、外国籍であると職業や政治への参加が制限されなければならないのでしょうか。現在、戦争をしている国の中には、軍隊に入るのに国籍を問わない国があります。参政権についても同様です。
「人はその国籍のある国家の利益を第一に考え、他国に対して干渉しようとする」と「常識」で考えているからです。私自身、時としてそのような考えを持ってしまうことがあります。しかし、立ち止まって考えると、そうではないことが見えてきます。
原発推進はフランスの国策です。だとするとフランス人は皆、原発推進で、反対者はいないのでしょうか。翻ってドイツは反原発です。ドイツ人は全員が反原発なのでしょうか。日本の国策はずっと原発推進でした。とすると日本人である私も原発推進でなければならなかったのでしょうか。
いやいや、そんなことはありません。国策や国益と信じられているものを国民が支持しなければならないというのは、幻想に過ぎません。徴兵制の国であっても良心的兵役忌避者は常に存在し、外国人が志願兵となることもありうるのです。
「山梨の中の世界」を知る。それは世界を鏡として自分を見つめなおし、「常識」とは何かと自らに問い、深く思索することにつながります。
(やまざき・しゅんじ 山梨外国人人権ネットワーク・オアシス事務局長)