【2012.01.29】 マネーボール
【ストーリー】
選手からフロントに転身し、若くしてメジャーリーグ球団アスレチックスのゼネラルマネージャーとなったビリー・ビーンは、自分のチームの試合も観なければ、腹が立てば人やモノに当たり散らす短気で風変わりな男。
ある時、ビリーは、イエール大学経済学部卒のピーターと出会い、彼が主張するデータ重視の運営論に、貧乏球団が勝つための突破口を見出し、周囲の反対を押し切って、後に“マネーボール理論”と呼ばれる戦略を実践していく。
当初は理論が活きずに周囲から馬鹿にされるが、ビリーの熱い信念と、挑戦することへの勇気が、誰も予想することの出来なかった奇跡を起こす!!
【感想】
せっかくの目利きで仕入れた選手を大事に育ててきたのにその選手が大きな成績を残すと金持ち球団に奪われてしまい、かといって優れた選手を迎え入れるような金銭的余裕もなく、八方ふさがりな状況の貧乏球団アスレチックス。
しかし、ゼネラルマネージャーのビリー・ビーンは諦めずにスター性に乏しく他球団からは魅力的に映らないものの、出塁数は稼げる選手を集めて数字で勝つという新しい理論にチャレンジする。
最初は、仲間からの理解を得られずにチームは低迷するが、やがて崖っぷちで選手や監督陣を熱く口説いて、ついには結果を残す。
「大きな敵にチャレンジする逆転劇」「信じるものを貫く根性」。
熱いじゃないか! なんだか自分の仕事を翻って、「よし、明日からガンバるぞ!」という気にさせてくれる映画だ。
すでにネタばれ気味ではあるが、主人公ビリー・ビーンには別れた奥さんとの間に12歳の娘がいることになっている。
元妻とその新しい旦那と一緒に住んでいるわけだが、同じオークランドに住んでいるらしく、たびたび娘と会うシーンがある。
この娘役ケリス・ドーシーの歌う歌がとても美しくてちょっと涙を誘う。
彼女がギターで弾き語りする歌詞は、「パパ、わたし一人でまよっているの」。
それにしても、娘が携帯電話を持っていることを知ると「この歳には早くないか?」と新しい旦那の前でビーンが元妻に忠言すると、「あら、何かあったら大変と思って持たせているのよ」と元妻が応えるシーンがある。
「そうそう」と新しい旦那が相づちを入れると「あんたは黙ってろ、これは彼女とオレの問題だ」というビーンが吼える。
つまり娘の教育、養育、監護にかかわることは明らかに遺伝的な両親の責任だというわけだ。
これが10年前のアメリカでは常識なのだろうか?
だとしたら、現状の日本とあまりに違う「常識」に羨ましい限りだ。
ビリーのチームは優勝こそしなかったものの、連続20連勝という歴史的な記録を打ち立てた。
その成功を手にして、ビリーにはインディアンスから破格のヘッドハンティングをうけることになる。
しかしインディアンスの本拠地はオハイオ、カルフォルニアからは遠くはなれている。
そうして娘からのCDを聞きながら、ビリーは考えて、そしてそのオファーを断るシーンがある。
仕事か。
別れた妻といる娘か。
どちらを取るのが正しいとは決して言えないと思う。
妻と別れた理由には映画では触れないが、その選択も結局まったく自分に非がないわけじゃないだろう。
結局、ビリーは古巣の世話になった球団と、娘を選んだ。
永遠を誓う伴侶に出会えることが人生の大きな影響を与えるように、離婚だってそれにともなって無傷ではいられない。
夫婦がそれによって人生になんらかの足かせをはめられるのは、結婚という人生を選んだ時点で当然の責任だと思う。
ただし、その二人の間に生まれた子どもは本当に純粋な被害者だ。
たとえばそれを子どものせいにして「お前がいたから諦めた」と責任転嫁するような親ならば、子どもと離れて生活するのも1つの選択だと思う。
また、世界を変えるような仕事と天秤にかけるのも難しい選択だと思う。
ただ、そのいずれの場合でも、やはり子どもは両親に見守られながら大人になるのが理想的というは1つの方向性だ。
でも、今の僕にはこの方向性を手放す他の選択肢、他の価値観が見当たらない。
たまにしか会えない息子の無邪気な笑顔や、「おとーしゃん!」としがみつく小さな腕に匹敵するような価値を、残念ながら今の仕事に見いだせない。
いつか、そういうことが見つかることがあるかもしれないが、今は、本当に彼のそばで彼の成長をサポートしてあげたいと思う。
そういう意味でも、なんだかビーンの物語と、娘の歌う歌詞に涙しちゃったのかもしれないな。