【2011.04.14】 『子どもの連れ去り問題 - 日本の司法が親子を引き裂く』
![『子どもの連れ去り問題 - 日本の司法が親子を引き裂く』コリンP.A.ジョーンズ [著]](documents/book20110413.jpg)
『子どもの連れ去り問題 - 日本の司法が親子を引き裂く』
コリンP.A.ジョーンズ [著]
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本書を読むと、何故、裁判所に頼ると、親子の絆が引き裂かれてしまうのか、そのプロセスが良くわかる。面会交流などの調停や審判は、建前上「子どもの福祉」基準であるが、実は子どもはどうでもよく「裁判所の利益」のために、事件が処理されていくカラクリが、非常にうまく書かれている。
ところどころに使われる比喩は、家庭裁判所に関わったことがない人にもわかるようになっている。もしあなたが、家庭裁判所にお世話になったことがある当事者であるなら、その例えが、ウィットに富む皮肉が込められていることを感ずるであろう。そして、これが概ね当たっていると同感するに違いない。
裁判官は自身の裁量(裁判所の独自ルール)によって、何をしても許される。日本には裁判官の暴走をとめる法律がないということこそが「親子引き離し」問題の本質であるというのが理解できるだろう。対極的な例として引用されているのがカルフォルニア州法だ。『カルフォルニア州法では、「子どもの最善の利益」が何たるか、こと細かに規定されている。それは、たった一人の裁判官の裁量に子どもの将来を任せることに警戒心があるからだ』と紹介されている。つまり、悪意がなくとも、そのような運用がなされないように裁判官に縛りを与えるという意味で非常によくできた制度、つまり裁判官の暴走を未然に防ぐ仕組みになっているわけである。
多くの当事者は、裁判所は正義の味方だから、事実を正直に伝えれば理解してもらえるはずだと思って、裁判所の門をくぐる。しかし、時間がたつにつれ、裁判所は正義の味方どころか、嘘をついてでも我を通す人に有利に働くところだと気づく。高い倫理観や道徳観をもって生きてきた人であればあるほど、無力感に苛まれ、自分の生き方が間違っていたのだろうかと、自信を喪失していく。
当会は、こんな社会であってはならないと考えています。今、自分は何のために生きているのかわかないと、人生そのものに絶望している当事者のみなさん、問題は司法にあり、あなたにあるのではありません。何とか耐え抜いて、我々と一緒に社会を変えていきませんか。












